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昭王(しょうおう)は周朝の第4代王。 即位後、准夷の反乱が発生したがこれを平定した。積極的な南方遠征で東夷26邦を従わせ、さらに楚への遠征を実施するが、遠征途中に行方不明となった。楚軍の攻撃により戦死したと言われている。 『史記』の周本紀によると、南方を巡狩(視察)して戻ってくることなく死に、その死は諸侯にも知らされなかった。一方、同書の斉太公世家によると、斉の桓公が諸侯を率いて楚を破った。そのとき楚の成王への問責の一つに、300年前昭王が南方の巡狩から帰ってこなかったことをあげている。昭王が楚王の先祖との戦いで戦死したことは、諸侯のあいだで周知であったとみえる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昭王 (周)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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